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2009/08/22 (Sat) 【FILE1】甲村陽一の場合①

新しく小説を載せていきたいと思います。
「断片集」の「No.2 口径 is 9mm」がもとになっているので、読んでいない方は是非。
「口径 is 9mm」は、ブログ記事を書くときに、その場で思いついた物語をそのままうちこんでいったもので、黒目自身も着地地点が見えず、書いていて非常に楽しめました。
(他に、「No.7 落下流水」、「No.11 花火、散ル」なんかも同じように)
普段の拙い文章よりさらに粗の目立つ作品なのですが、素材自体は面白いのではないかと思い、少し長めの物語として書くことにしました。

今回は、文章の綴り方を今までと変えてみたりと、微妙なチャレンジもあるため、見苦しいかもしれませんが、どうかお付き合いの程宜しくお願いします!





【FILE1】 甲村陽一の場合 ~ふぁいるいち こうむらよういちのばあい~

甲村陽一は悩んでいた。
今年から憧れのキャンパスライフとなり、充実した毎日を過ごしてきた彼であったが、中々に面倒な立場に追いやられていた。
大学というものは、専門的な分野へと身を乗り出していくものだから、同じ趣向を持つ人物と巡りあう事も多いであろう。
甲村は、大学へ入ってすぐに、『笹原理沙(ささはら りさ)』、『園田慶太(そのだ けいた)』という同級生二人と親交を深めることとなった。

きっかけはというと、軽い気持ちで参加したサークル内であった。
映画の研究という名目で活動しているようであったが、その実際は交流が中心といったもので、特別に知識を必要とされることはなかった。
甲村は、勉強以外でひたすらに打ち込みたいと思えるものもなかったため、随分と居心地がよく気に入ってしまっていた。

そんなごく普通な彼が、どんな面倒を目の前に溜息を漏らしているかというと、まさにこの同級生二人に関してであった。
二人とも、一定の地域から単身初めて飛び出したときの、いいようのない不安感を共有し、解消していった間柄であり、簡単には声に出すことには気が引けるとしても、「親友」と表現して問題はないだろう。

しかし、だからこそ今回はそういった関係が裏目にでてしまった。
現在甲村を悩ませている面倒というのは、所謂『恋愛』のことであったのである。

新しい空気に馴染むのに必死で、『光のように』と言っても語弊など引き起こすことがないと断言できるほどに速く、あっさりと春が終わりを告げた。
例年よりも随分と気温が高く、まるで体の一部であるように、大学配布の団扇を働かせていた、初夏のこと。

甲村の携帯電話に、なにも飾られず、ただ簡潔に「相談がある」とだけ書かれたメールが届いた。
白い画面にその一言だけが浮かぶ様子は、不気味なくらいに静かであったが、その簡潔さが逆に相手の緊迫した状況を主張しているようにも感じられた。

メールを寄越した相手は、園田慶太であった。
最初は真面目にと取り繕っていた甲村よりも、『素』の実直さで上回るほど、大人びた人物である。
それに加えて、盛り上げどころではしっかりと波調を合わせることもできるため、人当たりが非常に良い。

少しばかり焦りすぎて、待ち合わせの喫茶店に早く到着していた甲村に対して、園田は開口一番、

「俺は笹原理沙に惚れてしまった。」

などと口走った。

甲村は、園田は自分より優れていると常々思っていたものだから、頼られたことに得意気になっていて、少々ポーズなども決めてコーヒーを啜っていた。
そんなことをしている所へ、急に心の内を告白され、しかもそれがあまりに意外なものであったので、甲村は漫画のように、焦げた液体を卓上へと吹き散らしてしまった。

ごほごほと咳き込んでいる間に、園田は甲村の向かいに腰を落ち着かせ、上目がちに真剣な顔を覗かせた。

「甲村は、どう思う?」

甲村の様子が静まるのを見計らって、園田が言った。

「どう思うって・・・。笹原?」

鼻にでも流れ込んだのであろう、甲村がナプキンを顔の前で広げ、しかめっ面をしながら返す。

「今、俺が笹原理沙以外のことを話題に上げたか?」

「いや、『笹原理沙に惚れた』としか聞いていないけどな・・・」

甲村は、うーむ。と、わざとらしく唸ってみせる。
頭の中では、毎日のように顔を合わせる女子の様子を鮮明に描き出す。

笹原理沙。
非常に明るく、竹を割ったような性格の持ち主で、話し相手を爽快な気分にさせる人物である。
容姿は一般に比べて、飛びぬけているというほどではないにしろ、美人と呼べるであろう。
この三人グループの中では、一番行動力があり、男二人を差し置いてリーダーのようでもあった。

「確かに、笹原は美人だ。性格はさらに美人だな。
 だけどな・・・」

甲村は、思ったことをそのまま口にした。
続きを少し濁らせると、園田はずいっと身を乗り出す。

「だけど、なんなんだ?」

たまらず声に出した園田に、甲村は苦い笑みを作りながら言った。

「園田、お前は必ず尻に敷かれるぞ。」



現在の自分の住処へと還って、甲村はふぅと息をつく。
そこで、携帯電話が突然振動を起こし、その存在をアピールする。
体の力を抜いた瞬間に鳴るものだから、甲村は驚きとびはねてしまった。

情けない行動をしてしまった恥ずかしさからか、見られていたはずなどないのに、甲村はきょろきょろと周りを見渡す。
そうして少し経つと、古びたソファへと腰を下ろし、今度こそはと深く息を吐いた。

ジーンズのポケットから携帯電話を取り出し、広げる。
長い日が暗闇を帯びるほどの時間であったから、小さな液晶が孤島のように寂しく浮かぶ。

届いていたメールを開くと、絵文字の手が見える。
まるで孤島に流れ着いた人が、必死に助けを求めているようだと、甲村は思った。

メールの内容はというと、絵文字などで飾られてはいるが、その旨は今日園田から受け取ったものと同じだった。
差出人は、笹原理沙。
そこには手を合わせてお願いしている様子や、水色の汗によって困っている様子が中々に凝って表現されていたが、結局は「相談がある」とのことだ。
偶然にも、待ち合わせ場所は今日園田と会った喫茶店であった。
よく三人であそこに出かけたりもするから、不思議なことではなかったが。
逆に、どちらか一人と行く場合の方が少ないというのに、二日続けてとは、妙なこともあるものだ。
そうは言うものの、笹原の場合は何か好きなものをおごると書いてあった。
それほど裕福ではない身分、喜んで引き受けようではないか。

そんなことを考えながら、甲村は部屋の電気を灯し、テレビを点ける。
視線は光を放つ箱へと向けながらも、頭の中では今日あったことを思い返していた。



甲村が思ったままのことを口にした後、園田の意外な一面を知ることになった。
とにかく、園田は恋愛に関して疎かったのである。
聞けば、今までまともな交際はしたことがなく、好きだと実感したのも今回が初めてだという。

それを聞いた甲村は、親友の頼みであるということに加え、園田をリードできる分野を見つけることができた喜びで、随分と興奮していた。
終いには、徐に携帯電話を取り出して、

「こういうのは先手必勝というものだよ。」

と調子に乗る始末であった。
しかし、そこで園田があまりにも顔を上気させて、もしかしたら涙までをも浮かべて、拒否するものだから、甲村の悪戯もそれまでとなった。

「しかし、相談を持ちかけてきたときの態度とは随分と変わるものだな。」

からかって甲村が言った。

「うるさいな。本当に、どうしたらいいのかわからんのだ。」

「だから、さっさと『好き』って言ってしまえばいいのだよ。」

そう言って携帯電話のアドレス帳を開いて園田に押し付ける甲村。

「・・・・・・!!」

そんなことをするとまた園田が顔を赤らめて騒いだ。

結局、この日は最後まで甲村が園田をからかって終わった。




「まさか、明日は笹原とあそこに行くことになるとはな。」

時々じじっとしたノイズが入る放送の音を聞き流しながら、独り言を呟く。

明日会ったら園田のことをさりげなく教えてやろうかとも思ったが、流石にそこまでいくと愚行である。
それに加えて、今日の別れ際に、

「俺と甲村だけの秘密だからな。絶対に喋らないでくれよ。」

と念を押されていたのである。
とことん奥手というものであった。


翌日。
あの喫茶店の中で、一番腹に溜まりそうなメニューはなんであったろうなどと考えながら、甲村は昼下がりの陽光の中を歩いた。
やはりこの日も気温が高く、喫茶店に向かうまでの短い道のりでさえ、額にじわりと汗が滲むほどであった。

この時期は『楽園』とさえ思える、冷房によって作り出された快適な空間へと通じる扉を、汗ばんだ手で開く。
甲村の姿が現れたことに気がついたのか、笹原がおーいと声をあげる。

笹原が陣取っていた席は昨日のそれと全く同じであった。
偶然とは重なるものだと思いながら、甲村は笹原の向かいに腰を落ち着ける。

「笹原と二人っきりっていうのは、珍しいな。」

少しからかうつもりで甲村は言う。

「うん。そうだね。でも、これは陽一にしか相談できないことだし。」

笹原は、少し顔を赤らめて返す。
親しくなり始めてすぐに、笹原は甲村のことを下の名で呼ぶようになった。
甲村は、特に理由があったわけではないが、下の名で呼ばれる機会があまりなかったため、変な気分になったものだった。
だが、それよりも変だったのは、笹原は甲村を「陽一」と呼ぶというのに、園田に対しては「園田君」のままだったのである。

それは園田自身気にしているところで、昨日の会話の中でも、

「俺より甲村のほうに興味があるのではないか」

とか、

「近寄り難く思われているのではないか」

とか、いろいろと思案しているようだった。



あれこれ思い返していると、店に入り際に頼んでおいたコーヒーが、テーブルへと運ばれてきた。

甲村がそれを昨日のように、少し得意気なポーズで啜っていると、笹原が何か言ったようだった。
普段快活な笹原にしては、随分と口の中で篭るような発音で、何かそわそわしているようでもある。

「悪い。聞こえなかった。
 隠さんでいいから、もう一度言ってみてくれよ。」

甲村はどことなく上からの目線で言って、もう一度コーヒーを啜る。
そうすると、今度ははっきりと、しっかりと耳へと届く声で、笹原が言った。

「私さあ、園田君に惚れてしまった。」

なんということであろうか。
甲村は、昨日と全く同じ動きで、コーヒーを卓上へと散らした。
昨日とは逆側に座っているという違いはあったが、あまりにも目立つその行動に、店員は怪訝な表情を露骨に甲村へと送った。

ごほごほと咳き込む甲村が静まるのを待って、笹原が口を開こうとしたとき。
甲村は笹原の発言を手で制して、先にこう言った。

「笹原は、必ず園田を尻に敷くだろう。」




昨日と同じ帰路を辿って、住処へと還る。
あれからいろいろと話を聞いたり、適当に流しながらおごりであるハンバーグのセットにがっついたりして、夜を迎えた。

未だに胃の中に残る、肉やらポテトやらで、少々腹が張っているので、ソファで横になる。
甲村は、さっきまで話していた笹原の様子を思い浮かべる。


園田とは違い、笹原はそれなりに恋愛の経験値があるらしく、昨日のように甲村がからかうことはあまりなかった。
しかし、話の中で笹原は園田を「初めて本気で好きになった人」だと表現した。
甲村が、

「今までは好きでもない男と付き合ってきたのか」

と聞くと、

「大学に入ってからは、将来も視野に入ってくるの」

だと、訳のわからないことを答えとして渡した。
変に意地になった甲村は、女というものはそんなにドライなものなのかという疑問もぶつけてみたが、さらによく分からない理屈で塗り固められたものだから、話の途中で記憶が離脱した。

それならばと、甲村は園田が気にしていたことを質問した。

「なんで俺に対しては『陽一』なのに、園田に対しては『園田君』?」

近しい人物に下の名が『けいた』の人がいて呼びづらいとか、そんな安易な答えを期待した甲村であったが、

「恥ずかしくて名前で呼べない」

などと、笹原は顔を上気させて言った。
今度は食べかけのポテトを喉につまらせそうになった甲村であったが、なんとかそれを乗り切り、笹原の様子を伺う。

冗談などではなく、いたって真面目な顔をしている。
誰に対してもすぐに馴染んでしまう彼女が、ここまで恥らうとは。
甲村はただ意外だと思って、話の受け手にまわった。

それからは笹原から園田の良いところだのを延々と聞かされることになった。
あの紳士的な園田が、特別な意識を持って笹原に応対しているのだから、笹原が「もの凄く親切」というのを園田の良いところとして挙げるのは当然のことであった。

そんな笹原であったが、去り際に、

「このことは私と陽一の秘密だからね。絶対に喋っては駄目」

と、甲村へ言った。
さて、昨日同じような釘を刺されたと思いながら、甲村は

「伝えないとなにも始まらないだろう」

と笹原に提案してみた。すると、

「今回は本当に慎重にいかないと駄目なの。園田君、私に対して『友達』意識強いだろうし」

甲村は、なにやら面倒なことになってきたと感じながらも、結局は頷いて、こうして還ってきた。





もの凄く中途半端ですが、今回はとりあえずここまでで。
甲村の話はほとんど書き終わっているのですが、更新ペースをできるだけ乱したくなかったので、こんなとこで切ってしまいました。
これでもどこで切るか悩んだのですが。汗
まだ評価など出来ない状態だと思われますが、なにか思うところがあればコメントをいただけると嬉しいです!
次の更新は火曜日か、水曜日に。(もの凄く稀ですが、予定が前倒しになる可能性も)




【次回キーワード】
揺らぐ 亀裂 あのお方登場 終了

ツーヨンさんの次回予告を真似させていただきました。笑
あんまり上手いことできませんでしたが・・・。

それでは。次は 【FILE1】甲村陽一の場合② です。少しだけお楽しみにっ。

悲劇のルーツ。
「No.2 口径 is 9mm」

 NEXT→
【FILE1】甲村陽一の場合②

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2009/08/25 (Tue) 【FILE1】甲村陽一の場合②

甲村編の続きです。
ところで、前回切るところを間違えるという阿呆なことをしてしまいまして。
まあ大してかわらないのですが、始まり方に読みにくさを感じるかもです。ご了承をば。




ふぅと、昨日よりも深く息を吐いた。

相思相愛というものだというのに、片方は初心というもので、もう片方は変に警戒して慎重になっている。
随分と滑稽な図式であったが、こういうものは、そのうち丸く収まるのが常である。

甲村はそう思って、二人のためなら多少の面倒は被ってやろうと決めた。




それから何度か、甲村は二人からの相談を受けた。
勿論個々にである。
それぞれから見当違いな悩みや、考えすぎな些細な事象を、留まることを知らない豪雨のように浴びせられた挙句、それを相手に伝えるなと縛られているのだから、色恋沙汰だといってもそれはさながら拷問のようであった。

いつまでも焦れったい態度を崩さない双方に、甲村はだんだんと苛苛を積もらせたものだったが、こうなったら結ばれるまでとことん付き合ってやると、一人勝手に開き直ったのであった。


しかし、その決意はすぐに揺らぐこととなる。


二人から相談を受け始めてひと月が経つ頃だった。
その日は笹原と待ち合わせをしていて、甲村はいつものようにコーヒーを啜っていた。
窓の外をずっと眺めていた甲村は、笹原がそっと近づいてきていることに気付いていなかった。
なにやら気配がしたと甲村が振り返ると、すぐ目の前に笹原の顔があり、驚きを抱えながら反射的に後ずさった甲村は、窓に頭をぶつけてしまった。

「はは。驚きすぎだって。陽一って意外と小心者?」

笹原にとっては単にふざけただけだったのであろう。
しかし、見上げた先には、いつもより随分と粧し込んだ女の姿があって、甲村はそれに魅入られたように固まってしまっていた。
特に反応を示さない目の前の男に、どこか様子の違いを感じ取って、

「あまりに可愛くて見蕩れてしまった?」

からかうように、笹原が言った。

その言葉にはっとした甲村であったが、いつものように冗談を交えて返そうとしても、頭の中を先ほどの光景が埋めてしまって思いつかない。
すっかり混乱状態に陥るかというところ、手にカップが添えられていたのが思い出されて、下手な演技で咳き込むことにしてその場を逃れた。


その日の午前、つまり甲村と会う前に、笹原は園田に誘われて買い物に付き合っていたという。
笹原曰く、

「園田君から誘ってくれたの初めてなんだ。朝からめちゃくちゃ気合入れちゃった。」

とのことだった。
最初は、やっと園田も動く気になったのかという変な安堵感を感じたものの、先ほどの自分の感情が存在感を増してきているのに、甲村は気付いていた。

買い物に付き合ったといっても、昼を過ぎて少しの時間に分かれているようでは、二人の関係はさほど進展していない。

そんな事実を、もどかしく思うはずの立場の甲村なのだが、このときから思考の方向が真逆となった。
甲村は、それがとても恐ろしいことだと、自覚していた。

二時間程会話を続けたはずだが、甲村の頭の中には最初の十分程度の記憶しか残っていなかった。

還った後も、甲村はただただ自分の感情を抑制しようと努めた。
けれど、一度気付いてしまったものはどうしようもなかった。
甲村はソファに横たわり、目を瞑る。


いつ頃からだったのだろうか。
そうだ。最初から。
ずっと心の何処かであの笑顔が渦巻いていたけれど、何かがきっかけで隠してしまったのだ。
何であっただろうか。


少し起き上がって、体を捻って体勢を変え、またソファに沈む。


そうだ。
あの日、あいつから打ち明けられて。
それをきっかけに、心を、譲ったのだ。


何かを壊す一歩手前にいるのだという張りつめた感覚が、ちくちくと甲村の胸を刺した。
目を強く瞑る。
甲村はそのまま、眠りについた。




この日以来、二人の相談を受けることは甲村にとって拷問としか呼べないものになっていた。

相も変わらず無意味な探りあいをしていると思えば、顔を赤らめ、物憂げに語り始める。

笹原と会って話すときには、否でも意識をしてしまうし、園田と話すときには、度々生まれる黒い感情に甲村は悩まされた。



甲村は心から、二人を信頼し、好いていた。

それ故に、今の自分の願いがこの二人の仲を裂くことだと気付き、その度に自らを責めることとなった。



結局、園田と笹原は同じような関係を維持したまま、夏が終わってしまった。
この頃になると、甲村は気が狂いそうになることもあった。
いつまで経っても関係をはっきりとさせずに、ただ思いの丈を自分へと漏らしてくる二人は、たちの悪いいたずらをしているとしか思えなかった。
実際、甲村から見れば、二人は本当に交際したいのか分からず、ただこうして悩む時間を愉しんでいるようにしか見えなかった。




「それじゃ。また今度ね。」

そう言い残して笹原はいつものように喫茶店を後にした。
最近の笹原との話の内容に、園田が登場することが少なくなった。
今までひたすらに、受ける側に回っていた甲村が、自分から話をするようになったからである。
甲村は、笹原のことが好きだということを、隠す気がなくなってきていた。
惰性のように続くこの喫茶店での『相談』は、甲村にとっては笹原と二人きりで話せる良い機会となっていた。

なんとなく店を出る気になれなかったので、コーヒーを注文して、一人居座る。
あの長かった日も少しずつ短くなってきている。
『仲の良い三人』という関係も、同じように擦り減っていくのではないだろうか。
それとも、心の深くではとっくに壊れているのかもしれない。

そんな風に甲村が考えていると、突然向かい側に男が座った。
園田慶太だった。

「本当にコーヒーが好きだな、甲村は。」

雑じり気のない、爽やかな笑顔で園田は言った。

「まあな。」

あまり良くない想像をしていたため、突然の登場に甲村は少し緊張してしまう。

「なんだ。随分と冷たいじゃないか。」

にこにこと笑顔をこちらに向けながら、園田が言う。

甲村は、その瞳でしっかりと目の前の園田を映しているはずなのに、屈託の無い笑顔がすぐそこまで浮かんできては、ぐにゃりと崩れていった。

どうして、こいつは笹原に惚れたのだろう。
どうして、こいつは惚れたのに手に入れたいと必死にならないのだろう。
どうして、こいつのせいで俺が苦しまなければならないのだろう。

絶対に、園田より俺の方が、笹原を想っている。
いつまでも想いを伝えられない園田より、俺の想いの方がずっと優れている。


カップの中に潜む焦げた液のように真っ黒な思考が、甲村の中でぐるぐると渦巻く。
甲村の中で、なにかがはじけそうだった。


「どうした甲村?そんなに恐い顔をして。」

甲村ははっとした。
目の前には、心配そうに自分の方を覗き込む親友の姿。
今度はしっかりと、その表情を認めることが出来た。

胸が締め付けられるという表現は、実に的確だと、甲村はひしひしと感じた。

やはり、自分はこの男が好きなのだということを、甲村は改めて思った。
そんな中で、それでも笹原のことを諦められないとも感じていた。

甲村はもう、ここで打ち明けようと思った。
これ以上は、どうにかなってしまいそうだったから。

甲村が意を決して、園田へと声を発しようとしたときだった。

「甲村はさ、好きな人とか、いるのか?」

甲村の声は、呼吸と共に止まった。
全身の肌が逆立つ。
なぜ、急に、そんなことを。

「俺はさ、いつも甲村に相談してばかりだろう。
 力になれるかどうかはわからないけど、悩みがあるならさ。聞くことくらいはできるかなって。」

柔らかい、優しい声で、園田は言った。
甲村は、頭が破裂するのではないかというくらいに、様々なことを考えた。
そこには、笹原と園田の、それぞれの笑顔と泣き顔が映りこんでいた。


「初めて俺が相談したとき、あれだけ偉そうに話してたろ。好きな人くらいいるんだろ?
 教えろよ、相棒。」

園田は笑い声を交えながら、手を伸ばして甲村の肩を叩く。


盛り上げどころではきちんとのる。それは園田のいいところだったな。
だけど。違うよ、園田。


甲村は、口を開いた。

「好きなやつなんていないよ。
 地元抜けてから碌な女に会っちゃいない。
 おっと、お前に悪いな。」

はっはと笑いながら、そう返した。甲村の、逃げだった。

園田は、いつものような冗談交じりの返答をした甲村に、少し満足したようであった。
あと少し長く、園田が甲村を覗き込んでいたら、その虚勢は破られていたかもしれない。
けれど、適当に用をつけて足早にその場を後にする甲村に不信感は抱いても、その真意には辿りつかなかった。
恋愛に疎いということに加え、今まで長過ぎるほどに笹原のことを取り上げて会話し続けてきたため、甲村が笹原に惚れるという可能性に気付けなかった。


甲村は、走った。
もうこれで、自分は権利を失ったと、そう思っていた。
甲村は二人を恨んだ。
もっと早くはっきりしていてくれたなら、こんな思いはしなくて済んだのだから。

あてもなく走ったものだから、あまり馴染みのないところまで来てしまった。
夜が近づいてきていて、このままでは道に迷ってしまう。
甲村は、それでもよかった。
とにかく今は、なにも考えられず、なにも考えたくなかった。

ふらふらと歩く甲村の前に、小さな公園が広がっていた。
その隅のところにベンチがあるのを認めて、甲村は腰を落ち着けた。
少しの間、濃くなっていく闇を見つめて、やがていつもソファに沈むのと同じ体勢をとる。


眠ってしまおう。
ひたすらに、暗闇の中へ沈み込んでいこう。


そう思って、いつかと同じように、強く目を瞑った。

その瞬間。

「随分と傷心なようで。
 そこまでしていらないものを抱えるなんて、人の子というものは理解に苦しみますね。」

甲村の頭上で、声がした。

甲村はがばっと身を起こす。
何か危険なものが近づいてきていて、本能だけが警鐘を鳴らし続けているような、そんな気がした。

「ふふふ。
 ここですよ、ここ。」

声の主が見当たらず、首を振り回し続ける甲村に、再び声が降った。
高くも低くもなく、妙に艶かしい声。

その声を聞いたとき、甲村は理解した。
この声の主は、浮いている。俺の、ずっと上のところから、見下ろしているのだ。

はっとして、黒い空を見上げると、乱れたリズムで点灯する、古びたライトに照らされた人の姿があった。

見上げている状態だから正確ではないが、体躯は細長く伸び、暗闇に溶け込む色に染まったスーツを着こなしている。
きつく締め上げられているネクタイも同じ色のようで、葬式にでも現れたかのようであった。
顔立ちは見たこともないほどほっそりとしているようだが、深くハットを被っている所為で目元は分からない。
照らされた肌の色は白そのもので、辺りを包む闇の中、異常なほどに冴えていて不気味であった。

甲村はそれを見て、最近サークルで聞いた、『空間に映像を投影する技術』を思い浮かべた。

目の前に広がる光景を、それ以外で説明する手段を、甲村は持ち合わせていなかった。
しかし、未だにそんな技術は夢物語だという話もしていたはずであった。
そこまで考えが至ると、甲村は思考を止めた。目を背けたのである。

「私の存在が、信じられませんか。
 それも仕方ないでしょう。人の子は少しばかり視野が狭すぎる。」

これ以上関わらないほうがいいと思っていながらも、何故か甲村は、浮かぶ人ならざるものに目を奪われてしまう。
柔らかい、粒のように降ってくる声を聞いていると、漠然とこの存在はまさに目の前に居るのだと、そう確信してしまうのだった。


証明などできないが、確かに自分の頭上に、居る。


「なんなんだ、お前は!」

そう怒鳴って、威嚇してやろうと思っていた甲村だが、既になにも考えられなくなってしまっていた。

「私はあなたに危害は加えませんよ。安心してください。
 それよりも、むしろ感謝して欲しいのです。」

こくこくと、降ってくる声に頷いていた甲村だが、最後の言葉に首を傾げた。

「感・・・謝・・・?」

「そうです。憂いるあなたに、ささやかなプレゼントを。」

そう言って、ふわっと手をなびかせるように振った。

いつの間にか両手を差し出していた甲村の元には、赤のリボンで可愛らしく包装された箱があった。
何が起きたのか理解できず、甲村は親とはぐれた子供のような目つきで、送り主を見つめる。

見つめる先の人ならざるものは、こくりと穏やかに頷いて、その先を示す。

甲村は、操られた人形のように、不器用にその手を動かし、包装を解いた。
被せられただけの、紙の蓋を開けると、そこには、銃が入っていた。

「・・・・・・・!!!」

魂が抜けたようだった甲村だが、視界に一度それが入ると、寒気が全身を這いずり回り、呼吸が乱れる。
暗闇よりも深い、つやつやとした黒を放ち続けるその物体は、頭上を浮かぶ異形よりもずっと現実味を帯びた恐怖をもたらした。

動悸が激しくなる。
甲村の心のどこかでは、触れてはいけないと叫び続けているというのに、黒の魅力に導かれるままにその手は銃を握った。

これで、俺はどうすればよいのだろう。
※※を、※※ばいいのだろうか――――

どんよりとしたものが一瞬思考を支配したことに、甲村はひどく怯えた。
捨ててしまいたい。こんなもの。
そうだ、捨ててしまえ!!

そう思って振りかぶるが、甲村の行動はそこで終わってしまう。

混乱と恐怖、そして内に眠る狂気に弄ばれ続ける甲村に、送り主は耳元まで口を近づけてささやく。

「それは、全てを壊すことのできる銃です。
 モノだって。人だって。社会のルール、秩序さえも。」

「全てを?」

甲村ははっとする。
そのとき甲村の頭の中をよぎったのは、さっきと同じ、二人の笑顔と泣き顔だった。

「人の感情など、容易く壊すことができますよ。
 心そのものを壊してしまうことも出来るし、ごく小さな範囲でも―――
 そう、例えば誰かに対する好意、とか。」

深く深く、誘惑するように、声は甲村の鼓膜を揺らした。


思考が黒に染まっていく。
じわりじわりと、甘い毒のように広がっていく先に、ずっと望んでいたものがある気がした。

「使い方はとっても簡単。
 あなたが壊したいものを念じれば、それが弾丸となるのです。
 対象へと狙いを定めたりする必要はありませんから、引き金を、引く、だけ。」

送り主は、ばーんと口で言いながらしなやかな指を動かし、銃を撃つ真似をした。

「けれど、一つだけ留意しておいてもらいたいことが。
 その銃を使うことが出来るのは、たった一度だけです。
 どうかお忘れなきよう。
 それでは、期待していますよ。」


最後は脳に直接声が送り込まれてくるような感覚がして、甲村がはっとすると、いつの間にか一人になっていた。


何者だったのであろうかなど、甲村にとってはどうでもよいこととなっていた。
確かに手が感じている重み。
それだけで、この銃の持つ異能の力を疑いもしなかった。


視線はただ真っ直ぐに、艶やかな黒へと注がれている。


甲村の頭の中で、短いながらも濃密な想い出たちが、ぐるぐると渦巻いていた。
これだけ異様な状況に置かれていても、浮かんでは消える二つの笑顔は、やはり甲村にとって大切なものだった。



胸が、張り裂けそうだ。


甲村は、引き金へと指を伸ばす。


それでも、俺には、手に入れたいものがあるから。


かちゃりと渇いた音がして、目の前の黒が深くなった気がした。


掌は異常な量の汗で濡れていて、指は痙攣しているかのように震える。


息が、荒くなる。


夜の闇に冷やされた空気は、どれだけ吸っても苦しくて。


肺に刺さるような感覚だけが、途切れることなく甲村を覆う。


苦しい。苦しい。苦しい。苦しい。


ぼろりと、何かが流れ落ちた。


甲村にとってそれは何か分からなかったけれど、頬を伝う一筋の暖かさは、確かに感じ取った。


ごめん。 ごめん。 ごめん。 ―――ごめん。


「うあぁあああぁあああぁぁぁ!!!」






――――――。





はぁっと空へと息を吹きかけた。
体に温められたその息は、途中で白を帯びて綺麗に散っていく。

「うう。寒い・・・」

寄り添って歩く笹原は、体が一回り大きく見えるほどに着込んで、マフラーまでもぐるぐると巻いているというのに、縮こまって言った。

「本当、寒いよな。
 年の初めは炬燵にミカンと決まっているというのに。」

「こういう慣習的なものにえらく拘るのよね。慶太は。」

「頭固いからな。ステレオタイプとかいうやつじゃないか?」

「うーん、ちょっと違うような。」

二人してぶつぶつと話していると、話題に挙がっていた人物の声がする。



律儀なやつだから、待ち合わせより早く来ていたのだろう。

大勢の参拝客の流れに合わせて、丁寧に敷かれた砂利をさくさくと踏みながら進む。

少しばかりの沈黙が流れた。

けれど、それはとても穏やかで。

仲の良い三人だからこその、優しい沈黙だった。

人ごみがずっと密度を増して、俺達は立ち止まる。

そうだ、賽銭を準備しないと。


「甲村は、なにをお願いするんだ?」


雑じり気のない笑顔をこちらに向けながら、話かけてくる。


「そうだな・・・」


うーむ。と、わざとらしく唸ってみせた。



腕にくっつくように歩く笹原をちらっと見て、ほんのり笑顔をこぼす。




どうか。



どうか、この幸せが。



長く、長く、続きますように。



【FILE1】 甲村陽一の場合 ~ふぁいるいち こうむらよういちのばあい~





読んで下さった方、ありがとうございます!
予定では甲村編はもっと短かったのですが、少しエピソードを足したりして中途半端な長さになり、後半超展開といった感じに・・・
書き直したいところがいっぱいあったので、投稿を遅らせようとも思いましたが、いざ修正をいれると余計不自然な状況に陥ったりしまして。汗
上手に終わりに持っていけないこの歯痒さ。精進します。
甲村たちは少し後の方でまた登場するので、あんまり嫌わないでやって下さい。笑

FILE2は今ちょっとずつ書いていますが、これよりずっと短くなると思われます。
まだまだ書けていないので、早くて来週の半ばといったところかもです。
ものっそい遅筆で申し訳ありませんが、次回もどうぞよろしくお願いします。



【次回キーワード】
歪む 愛情ゲーム やっぱりあのお方登場

次は、【FILE2】佐久間都の場合 です。お楽しみにっ。


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【FILE1】甲村陽一の場合①

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【FILE2】佐久間都の場合

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2009/09/01 (Tue) 【FILE2】佐久間都の場合

さて、なんとか自分で定めた締め切りに間に合わせました。FILE2です。
甲村編よりかは大分短いと思いますので、さらっと読んでいただければ。
それではどうぞー。



【FILE2】 佐久間都の場合 ~ふぁいるに さくまみやこのばあい~

佐久間都は泣いていた。
その年齢には少し不似合いな、可愛らしいプリントがされたクッションの上で体を小さくして、泣いていた。

狭いアパートの一室で、佐久間はずっと夫の帰りを待っていた。
目の前のテーブルには、いつもの倍はあるのではないかという量で、色とりどりの料理が並べられている。
佐久間にとって、今日は重要な日であった。

けれど、時計の針は無情にもその身を動かし続け、佐久間の望みが叶う前に、その身を十二の位置で重ねた。

今日が、終わった。


佐久間はひたすらに涙を流し続けた。

しんとした空間に、嗚咽だけが不気味に反響する。

佐久間は、悲しむことよりも涙を流すことを優先していた。

一般で言えば、『悲しむ』ことと『涙を流す』ことは同じ立場にして、連鎖的な意味合いを持つものであろう。
だが、佐久間にとってはそれは別々なもので、『涙を流す』ことは佐久間にとっての一つの手段なのである。


佐久間は心の内で夫を呪いながら、真っ赤に腫らした目を見て、夫がどういう反応をするのかを想像した。

そこで少しだけでもうろたえて、私の身を頭のどこかで案じてくれれば、いくらかこの心は晴れるのだけど。

涙をぼろぼろと流しながら、佐久間はふふふと笑みを作る。
歪んでいる。
そんなことは、佐久間は自身で理解していた。


佐久間の日課は、どうすれば夫から再び愛情を注がれるのかを思案することであった。

佐久間の夫は、仕事に没頭する毎日を送っていて、妻の存在を忘れているのではないかという程だった。
佐久間が毎日要求されるのは一般の家事のみで、『夫婦』と呼べる関係はそこに成り立っていなかった。

二人の間に、喧嘩は全く起きなかった。
佐久間は、ここで暮らし始めたあの頃の夫に戻るまで、ひたすらに献身的に努めようと心に決めていた。
一言も文句を漏らさず、機械のように同じ行動を毎日続けて、何年も過ごした。

けれど。
その間に積もり積もった暗いものは、佐久間の心のずっと深くまで仕舞い込まれて、いつしか献身的な愛を捻じ曲げるに至った。



これは、ゲームなのだ。



佐久間は、毎日そんな風に考える。
どうすれば、あの夫から愛情を手に入れることが出来るのか。
再び自分へと注がれる愛情を感じ取ることが出来れば『勝ち』。
そうでなければ、毎日、毎日、『負け』がこの心に刻み続けられる。

さっきまで続いていた昨日も負けた。
『結婚記念日』という特別な状況下でのゲームにおいて、佐久間は非常に有利な立場であったはずだった。

ぎっぎ。ぎりり。
歯を食いしばって音を立てる。

普通でない思考に陥りながらも、彼女の知りえない所で、確かに悲しみが胸を締め上げているというのに、『負けた』悔しさからだけでその歯音は鳴いていた。




それからも、全く同じ日常が過ぎ去って、佐久間の戦績はひたすらに『負け』を示し続けた。


どうすればいいのかしら。
私はこのゲームに『勝たなければ』いけないのに。

あまりに長い期間を歪んだ感情の元で過ごし、佐久間はさらにその闇を深くしていった。

漠然とした思いがぐるぐると頭の中を回り続け、その先で欲していたものは何であったのか、忘れてしまっていた。
その代わりに、佐久間の中で『ゲームなのだ』という感覚が増していって、それは幻を造り上げていく。


ぶーぶーと、自分を批難する声が、佐久間には聞こえた。

「そうだわ。昨日は久しぶりに夫が早く帰ってきたものだから、私の方の勝率が少し上がっていたんだ。」

ぴらぴらと手帖をめくる。
『八月十三日』という枠の中に、

私 三十二 倍    改め、  私 二十七 倍
夫 一・四 倍    改め、  夫 二・六 倍

と書かれていた。


あの倍率なら少しは望みがあったのに。
またあっちの勝ちかよ。つまらない。
やっぱり堅実に当てていくほうがいいな。


がやがやと、佐久間の頭の中を幻聴が駆け巡る。
はっと気がつくと、沢山の人が佐久間を取り囲んでいた。
もう何度も経験している感覚。


ある人は喜びと共にその身を躍らせ、ある人は口汚く佐久間を罵って、何枚もの紙切れを空へと放った。
渦巻く歓声と罵声。紙の舞う空間。
佐久間は行ったことはなかったが、それを所謂『賭け事』の類が行われる場に近いものだと思った。

佐久間はそれにひどく怯えた。

「明日こそは必ず。」

と、何度も声に上げながら、震える手でスタンプを取り出して、手帖に押し付けた。

くっきりと、綺麗に映える青。

それが示すものこそ、佐久間の『負け』だった。
 

――――。


佐久間は朝の家事を終え、当然の流れのように手帖を開く。
ぴらぴらぴら。
今日、『十月二十三日』。
レートは相変わらずの偏りを保ったままであった。
佐久間はペンを取り出し、一週間先の分まで、自分でレートを記していく。

ふふふと笑いながら、一人であるはずもない予定を書き込んでいるようで、周りから見れば不気味な光景。

佐久間は、日ごとにレートを変化させていく。
それはやがて佐久間と夫との間の偏りを無くしていく。
まるで二人の間に立ちはだかった壁が崩れていくようなその変化は、ピークを迎えるであろう週末で止まった。

『十月三十日』。そこにはレートは書き込まれず、代わりに『休止』と『私の誕生日』という文字が書かれていた。

佐久間は、この日の『ゲーム』は成り立たないと考えていた。
佐久間の夫は、結婚以前から、佐久間都の誕生日には必ず花束を買って還ってきたからである。

それは毎年、愛情を感じなくなった近年でも欠かさず続いていて、途切れることは無かった。
けれど、それはあくまで儀式のようなもので、夫自身が止めるに止められなかった、自らへの戒めのようだった。

佐久間は去年の誕生日を思い出す。

その日の佐久間都は珍しく、澄み切った笑顔を表へ出して過ごしていた。
しかし、だんだんと陽が陰り沈んでいくのと同じように、彼女の表情は曇っていく。
並べられた大量の料理を前に泣き出そうとしたとき、がちゃりと扉の開く音がした。

ぱあっと顔を明るくした佐久間の元に、無造作に投げ込まれた花束。
固まる笑顔。
送られたそれは上品な香りこそ醸し出しているものの、肝心の夫は一言も告げずに洗面所へと去っていった。

ふるふるとその体を細かく揺らす佐久間。
普通ならば、わあっと泣き出す所かもしれないが、佐久間は小さな笑みを浮かべていた。
佐久間は寂しく思いながらも、自分の誕生日こそが夫との最後の繋がりのような気がして、妙な嬉しさを感じていたのだった。




歪んでいる。
佐久間自身も、夫との関係も。
だが、そんな歪みの中で、誕生日に花束という『儀式』が継続する限り夫と離れることはないという確信を持って、佐久間は一週間を過ごした。




そうして向かえた佐久間都の誕生日当日。
今年も佐久間の顔は澄み切っていた。
今日は例の幻覚は襲ってこない。罵られることもないのだ。
思えば、レートを記し始めてから、誕生日を迎えたのは今年が初めてだ。
夜までいつものように過ごして、夫が還ってきたら、ただ『儀式』を受けてあげよう。
私と夫は、そうして続いていくのだ。


どうせまたこれを一人で食べきれずに捨ててしまうのだろうと思いながら、佐久間は料理を作り上げていく。
夜と呼べる時間帯に入り始め、佐久間はいつになくどきどきと鼓動を早めてしまう。

佐久間はクッションの上へと身を落とし、ひたすらに夫の還りを待つ。

今年はどんな花だろうか。
確か一昨年のものが一番大きかったけれど、今年はどうかしら。
あの人はお金は沢山あるからと、この日は全く惜しまないのよね―――。

ちく、たく、ちく、たく、ちく、たく。

部屋に置いてある唯一つの時計が、その身を忙しなく動かす。

あれ、どうしてだろう。
いつの間にか、こんな時間に。

針と針は身を寄せ合いながら、徐々に頂へと至ろうとしている。



・・・え?



嘘。嘘よ。
だって、今日は、私の、誕生日。
もう何回と続けてきたか分からないほど、当たり前な日なのに。

嘘。嘘。嘘!

佐久間はざっと立ち上がって時計を両手で掴む。
安い素材で造られたそれは、容赦なく加わる握圧により軋み、不快な音をあげる。

待って!待ってよ!!

まだ、『今日』は、終わらないで。


――――。



佐久間はぼうっとしていた。
両の手の中で、痛みを訴えながらも働き続ける時計は、四時半を示している。
もうすぐ朝が始まる。

少し早起き過ぎた小鳥などが意味もなく鳴いている。
それをどこかずっと遠くに聞きながら、佐久間は同じ姿勢のまま、定まらない焦点で時計の針を見つめていた。

佐久間の中で、今まで支えてきた芯のようなものが、ぽきりと折れてしまった。

ずっと寂しかった。
ずっと悲しかった。
ずっと、ずっと、かつての夫が還ってくるのを、待っていた。

『ゲームなのだ』という幻覚を造って奥へと塞ぎ込むなんて、歪な守り方だったけれど。
佐久間は心の底で、ずっと夫の愛情を待ち望んでいた。

押し潰されそうなほどの孤独の中、一年に一度だけ来る希望の日。
それは『儀式』のようなものだと解釈したけれど、やはり贈り物からは微かな愛情を感じ取ることが出来て。

強がってはいたけれど、自分がそれをどれだけ支えにしてきたのか。

今になってようやく気付いた佐久間は、そこまで考えが至ると、その支えさえも失ってしまった事実を再認識してしまう。
ぱたりとそのまま横へと倒れ、重力に引き寄せられるまま、床に体を任せる。

ぼろりと涙が出てきた。
虚しく反響する嗚咽。
佐久間は何年ぶりかの、本当の涙を流した。


うっぐ、えぐ。
途切れることなく流れ出る涙で、頭に添えられたクッションはぐしゃぐしゃになっていく。

「これから私は、どうすればいいのだろう。」

ぼそりと、時計に話しかけるように言った。

「取り戻せばいいのですよ。」

佐久間は、はっとした。
この部屋には、自分しかいないはずなのに。
いつもの幻覚だろうかと思いながら、ゆっくり身を起こすと、すぐ目の前に人が浮かんでいた。

真っ黒なスーツをぴしゃりと纏っていて、清潔さと共に妖しい雰囲気が漂う。
頭に被らせているハットのふもとは、不自然なくらいに影が濃くなっていて、目元が見えなかった。

いつも私を罵る人たちではない。

佐久間は、それが自分を取り囲んでいた幻覚とは全く別な存在であることを感じ取っていた。

「あなたは夫を取り戻したいのでしょう?ならば、そのようにすればいいのです。」

性別の判断をつけにくい、音の高低の間をゆらめくような声は、佐久間の鼓膜を妖しく刺激する。

「取り戻すって・・・。どうやって?」

佐久間はその存在に惹きつけられるように立ち上がり、話の先を求めた。
立ち上がったことで顔との距離は多少縮まったものの、相変わらず不自然に翳っていて、口元だけで表情を表している。

ふふふと、艶やかな唇の端を曲げて、それは言う。

「憂いるあなたに、ささやかなプレゼントを。」

ふわりと舞うように手を広げたと思うと、佐久間の両手に握られていたはずの時計が、洒落た箱に変わっていた。

佐久間はなにも驚かなかった。
目の前に浮かぶ存在を疑いもしなかったし、受け取ったその箱を当然のことのように開け始める。

佐久間は、こういった非現実的な力でないと、自分を救うことはできないと思っていた。
今までは自分自身を『ゲーム』という殻で守ってきたけれど、今は予期せぬ外部からの力が働いている。
変わるなら今しかないと、佐久間は躊躇い無くその箱を開けた。


ひっそりと静かに、しかし威圧するように、箱の中に横たわる銃。

どくんと大きく胸を打つ音を、佐久間は確かに聞いた。
このまま人外な力による解放を想像していた佐久間は、あまりにリアルなその黒を見て、じわりと額に汗を滲ませる。

ぞわぞわと、体中の肌が波打つように逆立つ。
急に可笑しくなってきて、意味もなく佐久間はふふふと笑う。


確かに、これであの人を撃てばずっと一緒にいられるかもね。


頭を一瞬かすめた光景に、佐久間は少し怯えて、また笑う。

同じように口元を歪ませていた送り主は、するすると佐久間の下へ降りてくる。
ちょうど同じ地に足をつけたことによって、佐久間よりずっと高い背丈が際立つ。

「それはですね。普通の銃ではないのですよ。
 全てを壊すことのできる銃。
 モノだって。人だって。なーんでも。」

両手をぐわあっと広げて、得意気に話す送り主。

にやにやと浮かべていた笑いを一旦止めると、佐久間は問い返した。

「なんでも?なんでも壊せるの?
 だったら。だったら、あの人を変えてしまったものを壊してしまえば―――。」

そこまで口にしたとき。
目の前で影のようなものがゆらめいたと思ったら、あの送り主はいつの間にか佐久間の後ろへと回り込んでいた。

ふわりと二つの掌を佐久間の両肩へと乗せて、顔を耳元へ近づけて話す。

「そう。あなたは邪魔なものを壊して、愛しい夫を取り戻すことができる。
 けれど、一つだけ留意しておいてもらいたいことが。
 その銃を使うことができるのは、たった一度だけ。
 それだけは気をつけて。」

大人しく聞いていた佐久間が、こくりと子供のように頷くと、送り主はくしゃくしゃと頭を撫でる。
その後、肩から腕の方へと両手を這わせながら移動させていき、手の甲まで達する。
優しく手を添えられ、導かれるように佐久間は銃を握った。

先程よりもさらに耳に近い距離で、送り主はささやく。

「壊してしまいたくてたまらないものを、頭の中いっぱいに浮かべれば、その想いは弾丸となります。
 そうすれば後は簡単。こうして、引き金を引く、だけ。」

鼓膜を震わす振動と共に、吐息が耳に触れるのを感じて、その声は佐久間の脳髄まで麻薬のように広がる。


人差し指だけ佐久間の手から離して、送り主は一気に引き金を引く。
かしんという短い音が間抜けに鳴った。
佐久間の掌は汗で濡れていたが、その表情は恍惚そのものであった。

そこまでしてから送り主はゆっくりと体を離し、もう一度佐久間の頭を撫でる。

「それでは、期待していますよ。」

最後にそう言ったかと思うと、佐久間が振り向いた先にもうその存在はなかった。
佐久間は少しだけ残念そうな目をした後、自分の手に握られたものを見つめる。

さっき言っていたことが、本当なら。

ざざっと、佐久間の頭の中で、今までの灰色の毎日が映し出される。
それをだんだんと巻き戻していく。

あの人が、変わった理由。

それは、一つしかない。
仕事。とり憑かれたように没頭し始めた、あの仕事が全ての元凶なんだ。
あんなもの、いらない。
あれが無ければ、いつだってあの人はこの部屋で、私の傍に居てくれる。

標的が定まる。

もう一度佐久間がぎりっと銃を握りなおすと、かちゃりと渇いた音がした。

弾が、込められたんだ。

佐久間は、無意識にそれを理解する。
いよいよ後は引き金を引くだけとなったとき、突然戸棚の上の写真立が、佐久間の前に落ちた。

ずっと昔の笑顔が、佐久間の視界の中心に映る。
ガラスで守られていたその写真は、なにも色褪せることを知らず、佐久間へとなにか訴えているようにも見えた。

「何、何よ。いまさら・・・・。」

ただの写真。
しかし、佐久間はそれから目を離すことができない。
優しすぎる想い出が、果てしなく頭の中で反響し続ける。

二つの感情の間で押し潰されそうになったとき、昇り始めた陽の光が、偶然カーテンの隙間から入り込んできた。
それは、佐久間の横を通り抜けて、写真の中の夫を照らした。

その瞬間、佐久間の頭の中のなにかがぷつんと切れた。

「結婚前から、子供は三人欲しいよねとかさ・・・。
 いつか家を建ててずっと一緒に過ごそうとかさ・・・!!
 あんなに、楽しく毎日を過ごしていたのに!!
 あんなに、愛おしく想いあっていたのに!!
 あなたが、あなたがっっ・・・・!!!」

せき止めていた感情が制御を失って、そのまま言葉として発せられる。
喉よりも、腹よりも、もっと深く、深く。
ずっと閉じ込めていた心の底から、佐久間は泣きながら叫んだ。


ぶるぶると痙攣する手を無理矢理に重ねて、銃の照準を、写真へとまっすぐに固定する。
体中から吹き出る汗が、零れ出る涙と混ざって、雨のように床へと落ちた。


大好きだから。
還ってきて、欲しいから。
佐久間は、引き金を、引いた。


がんっと大きな反動を受けて、佐久間は尻餅をつく。
確かに弾丸は放たれたはずなのに、どこも壊れている様子はない。
しかし、両腕に残る痛みは、確かに撃ったのだと、佐久間に認識させる。

尻餅をついた態勢のままぼうっとしていると、手の中にある銃が突然熱を帯び始めた。
気付いたときには黒に赤みが差していて、溶けていくように見えた。
佐久間は熱さに耐え切れなくなり、銃を放り投げる。
銃は床へと空しい音を立ててその身を落ち着けると、その場でさらさらと砂のように崩れていった。



――――。


それからの数時間、佐久間はそわそわと過ごした。
夫からはなにも連絡が無く、いつもと同じ一日が過ぎ去っているように感じられた。

誕生日の翌日の夜。
久しぶりにぎいと鳴いた扉の向こうから、夫が姿を現した。

しかし、その顔はとても人のものとは思えないほどに弱りきっていた。
仕事を、失ったのだろう。

不景気だとか、そんなこちらの事情とは関係なく。
人外の力によって、有無を言わさずに。

それでも、佐久間はぱあっと顔を明るくして、扉の前で立ち尽くす夫へと近づいていく。

佐久間の姿を認めているかどうか怪しいくらいに虚ろな目をしている夫。
その頬へと手を添えて、佐久間はそっとキスをした。

「大丈夫、私がいるから。
 二人でいっしょなら、どんな生活でもいいから。」

そう明るく言って、体を引き寄せて抱きしめる。
そこで、佐久間は、気付いた。

夫の肩へと頭を乗せて、ぎゅっと抱きしめた向こう側に。
後ろ手で隠すように持たれていた、大きな花束。

「・・・・・・ごめ、ん。」

夫がやっと口にした言葉。
佐久間がその意味を知る頃には、夫は力なくその場で座り込んでいて、声をあげて泣いていた。

佐久間は、自分の中の様々なものが、悲鳴をあげながら崩れていくのを感じた。

真っ黒な罪の意識だけが、佐久間の頭の中をどろりと支配して、夫と同じように、座り込んで泣いた。

その内容は違うのだけれど、二人の懺悔のように泣き声は響き続けたのだった。



       ◆


あの日以来、夫は人が変わったように優しくなった。
いや、実際は元に戻ったという表現のほうが正しいのだけれど。
全てを失ったというのに、彼は立ち直った。
新しい仕事を見出して、あの頃と同じくらいに働いているけれど、私のことを第一に考えてくれている。

「そんなに働いたら、身体をこわすわよ。」

私は、微笑みながら言う。

「お前の、ためだからな。」

同じように微笑みながら、彼は返してくる。

あれから、かつての幻覚のようなものは見なくなった。
けれど、今は彼の優しさが、毎日のように私の心を貫く。
それは、とても痛いのだ。

私を罵るのではなく、咎める声が、すぐ傍まで迫ってきていることに、私は薄々感付いていた。
それでも、今度こそは正面から向き合っていける。

いつか心の底から笑えるようになったら。
謝ってから、贈ろう。

見たこともないほど豪華な料理も添えて。
大きな大きな、花束を。


【FILE2】 佐久間都の場合 ~ふぁいるに さくまみやこのばあい~


読んでいただいた方、つまらんと飛ばした方も、ありがとうございます!
行間無駄に使いすぎだよってツッコミはなしで。笑
今回はFILE1とは逆に予定よりさらに短くした感じです。
元々「愛情ゲーム」みたいなタイトルで別物のアイディアだったのですが、これで一作品として書くのは黒目にとってハードルが高すぎたので。
取り入れながら展開してみましたが、やはり難しかったです。

かなり読みにくいものになってしまいましたが、お蔵入りになるようなものをちゃんと書けた気がしてこちらは気分が良いです。笑
何か感想があればコメントに残していただけると嬉しく思います。

次は、ずっと書きたかったFILE3!!
量は少し多目になると思われます。
来週末までには、載せれる・・・と思います。


【次回キーワード】
憧れる 園田妹 あのお方はまだ自粛 

次は、【FILE3】園田愛理の場合① です。お楽しみにっ


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【FILE1】甲村陽一の場合②

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リンク貼り予定。

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2010/02/28 (Sun) 【FILE3】 園田愛理の場合①

【FILE1】甲村陽一の場合  
【FILE2】佐久間都の場合 



【FILE3】 園田愛理の場合 ~ふぁいるさん そのだえりのばあい~

園田愛理は想像していた。
自分が大学へと入学し、憧れのあの人と共に過ごしていることを。
手を握り合って笑顔をかわし、近くでは兄も同じように大好きな人と一緒に笑っている。
そんな理想の新生活が、彼女を待っているはずであった。

園田愛理は、兄の慶太とは歳が一つ下の妹で、兄と同じ大学を志望していた。
学力というもので測るのであれば、全国の中でもかなり優秀といえるその大学に、愛理の兄、慶太は見事合格してみせた。
ずっと昔から兄と共に目指していた大学だけあって、兄の合格を聞いた際には自分のことのように喜んだし、自分も努力次第で合格できるのだという自信が生まれた。
それを大きなエネルギーとして変換させ日々勉学に励んでいた彼女を、さらに後押しする事件が起こる。

離れ離れになってから、ぽつぽつと始めた兄とのメールのやりとりの中で、『恋愛をしている』という旨のものが突然送られてきた。
それを読んだ愛理はとても驚いた。
高校生の間も、幼い頃から変わることなく一緒にいた二人であったので、愛理は兄が恋愛に関して疎いことはよく知っていた。
元々、園田家の教育がかなり厳しい部類のもので――慶太が長男というのもあったかもしれないが――兄は様々なことを教え込まれていた。
武術から礼儀作法まで、毎日をひどく忙しそうに過ごしていたものだから、寄せられていた多数の好意には全く目がいかなかったようだ。
なりふり構わず駆け抜けた末の大学合格なのかもしれないが、兄にとって高校生活は随分と味気ないものだったように思われる。

初めて人を好きなのだと実感している。俺はどうすればいいのか。

そんな文面を、恐らくだが一番最初に、実の妹へと送りつける大学生というのは中々いないだろう。
しかし、二人の仲はそんなことも全く可笑しいことではないくらいに深いものであった。

愛理は、とにかく兄がどんな人に惚れてしまったのか知りたくて、写真をメールに添付するよう要求する。
それから十五分程がたって、恥ずかしさからだんまりを決め込んだのだと諦めようとしたとき、愛理の携帯電話が光った。

まるで野獣が獲物にとびかかるような勢いで携帯電話を手に取り、メールを開く。
少し前に、仲良くなった人と一緒に大学の近辺を知ろうと散策して回ったことを聞いていたから、多分そのときの写真だろう。
名所である、大きな電気の塔を背景に三人がこちらへと笑顔を振りまいている。
右で兄が笑っていて、真ん中に綺麗な女の人。左にはもう一人の男の人。

へぇ。こういう人が好みなんだ。すごく綺麗な人。

この時期は知り合ってそれほど間もないだろうに、無理に着飾ることなく、明るい顔で笑うその女性を見て、兄が惚れたことに愛理は少し納得した。
一通りの感想を思い浮かべていた彼女だが、注目すべきであった兄の想い人よりも、気になる存在があった。

女性を挟んで兄の反対側にいる、男の人。
特に運命なんて信じる性格ではなかったけれど、その笑顔からはなにか穏やかなものを感じて、愛理はどうしても彼が気になってしまっていた。
容姿も優れていて、きっと人気が高いのだろうけど、それ以外にも惹かれるものを、彼女はなんとなく感じていた。

ただ写真を見ただけなのに、なんでだろう。

勉強ばかりしている脳が、なにかしらのストレスから生じさせた感情なのではというなんのロマンもない考えもしてみたけれど、どう説明していいか分からない想いが確かに彼女の中で生まれていた。
すぐにでも彼について細かく聞きたかったけれど、今は兄の相談を受ける立場だということを思い出して止まった。

相談を受けるというより、とにかく兄の恥じらいながらの告白を聞いてあげるという形で、メールは二人の間を何回も飛び回る。
その中で、女の人の名前は笹原理沙、そして男の人の名前は甲村陽一であることが分かった。

甲村陽一。甲村陽一。
愛理はなんとなく声にだしながら、空中に浮かべた漢字を指でなぞる。不思議な響き。

兄は二人とすっかり仲良くなっているようで、信頼しきっていた。
ここで、妹である愛理はむぅと少し唸る。

あの兄の性格だから、あまりにも三人でいることを当たり前にしてしまうと、恋愛よりも友情を優先してしまいそうだ。

この先、苦労することがなければいいけれど。

そんなことを思いながら、メールを送る。
その日のうちはただただ兄の恥ずかしくなるくらいの告白文を見届け、『甲村陽一』への詮索は後日とすることにして、愛理はひとまず満足した。



それからの毎日、愛理は非情に充実した生活を過ごした。
頭の中では、暇があっては甲村の笑顔がぽこぽこと生まれてくるのだが、勉強が疎かになるわけではなく、むしろ良い方向へと進んでいた。

他愛も無い兄とのメールのやりとりの中で、時折甲村の話を聞いて、愛理はその好意を膨らませていった。

兄の方は相変わらずで、何の行動も出来ない自分と、初めての感情に板ばさみ状態であった。

なんとも情けない。

兄の性格を熟知している愛理は、それを実際に口に出して伝えたりもしたが、これといって変化は見られなかった。
愛理は、甲村と笹原とが好き合ってしまうのではないかという、勝手な不安を抱えることもあった。

二人が並んでいるところを想像すると、不思議なくらいに似合って見えたから。

ぶんぶんと頭を振って、そんな想像を振りとばす。
写真を見ただけで、笹原に対してほのかな憧れさえ感じてしまっていた愛理だから、そのような状況は絶対にあってはいけないと思った。



高校生活最後の夏休みも終わり、学生にとっていよいよ受験が具体的なものになってきた頃。
非常に良い成績を残している現状に甘んじることなく、愛理は勉学に励んでいた。

兄とはメールだけでなく、電話をすることも多くなっていた。
しかし内容は以前より少し変わっていて、笹原理沙よりも甲村陽一の名が頻繁に挙がった。

愛理は甲村に寄せている好意を明確に伝えることこそしなかったが、隠そうという気もなかった。
それでも慶太は全くその辺りを感じない。愛理は今度はそんな兄に悶々としていた。

会話の中から、未だに大学生三人の関係はそのままであるようだが、安心はできない。
兄は相変わらず奥手なままであるし、そんな兄を通してでは甲村と笹原の感情など分かるはずもなかった。


「お兄ちゃんは、本当に笹原さんのことが好きなの!?」

もう何回と電話越しに怒鳴ったか分からない台詞。
最近の兄は笹原に向ける好意が弱まっているように思えた。

心配していたことが現実になっているのかもしれない。
もし自分が告白でもしようものなら、三人の仲良し関係が崩れると考えているのだ。
恋愛より、友情。
兄らしいといえばそうなのだが、それでは愛理は納得できない。

兄に幸せになって欲しいというのも勿論だが、頭の中の甲村と笹原の並ぶ姿が、ぴたり型にはまったかのように似合ってしょうがなかった。

一人で勝手な妄想をして、勝手に焦っている。

そんなことは愛理自身分かっていた。
甲村と笹原には、「妹がいる」ということを兄から知らせてもらってはいるけれど、当然恋愛という土俵に立っている訳ではない。

「それじゃあ、甲村さんに今好きな人がいるか、聞いてみてよ!」

兄が細い声でぶつぶつ言っているのを聞き流しながら、頭の中でそんなことを考えていたところ、咄嗟に口に出してしまっていた。
会話の繋がりから、「それじゃあ」という接続は明らかに間違っていて、無言ながらも兄の漏らすクエスチョンマークが目に見えるよう。

「だ、だって。いつも相談に乗ってもらっているんでしょう?
 甲村さんだってそういう悩みがあるかもしれないんだから、友達なら聞いてあげるべきだよ」

「いやあ。甲村は俺と違ってそういう面もしっかりしているから、特に役に立てるとは思えないけれど」

「恋愛音痴のお兄ちゃんに期待なんかしてないって。とにかく、友達として聞いてあげるだけでいいの!」

あまりにも突然に口走ってしまったので、なんとか理由をつけようと必死になる。
あれこれと言いつけた後には、もう開き直ってしまっていて、とにかく何が何でも聞き出してと念押ししていた。


次の日、愛理はそわそわとしながら兄からの報告を待った。

あの兄であるから、そもそも聞くことができないのではないかという考えがあったが、それでも愛理は落ち着かなかった。
流石に手に付かない数式を意味もなく見つめていると、携帯電話が鳴った。慶太からだ。


「どうだった!?」

通話が始まった途端、そう大声で聞く。

「それがだな。甲村には今気になる女性はいないらしいんだ。
 地方から出てから碌な女性と会っていないとも冗談っぽく言っていたよ」

笹原に失礼だよなと、笑いながら言う。
愛理は、心底ほっとした気分だった。

自分と甲村との距離が縮まったような錯覚を覚えるほどに、愛理は安堵したのだった。
それからの雑談はほとんど記憶に留まることもなく流れていった。
最後の方で、少し甲村が変な様子だったということを聞かされたが、その時の愛理の耳には届いていなかった。


久しぶりの更新。やっと掲載できましたFILE3。
あまりの不調っぷりで量少ないです・・・。
FILE1を書き始めたのが去年の夏の終わり。
かなりの時間が経っていますが、なんとか終わりまで綴っていきたいと思いますので、よろしければお付き合いください。

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